パティスリー・ドゥ・シェフ・フジウ ー 藤生 義治さん

パティスリー・ドゥ・シェフ・フジウ ー 藤生 義治さん

パティスリー・ドゥ・シェフ・フジウ(東京)/ シェフパティシエ 藤生 義治さん

「10年後も働いていたい!」
後進を育てながらも、コンフィズリーへの尽きない情熱。

自分の道をを突き進むヒーロー
 


フランス古典菓子と言えば、思い浮かぶのが「パティスリー・ドゥ・シェフ・フジウ」のオーナーシェフ、藤生義治さんです。店に並ぶのは生菓子だけでなく、焼き菓子にチョコレートなど、全部で200種類にもなると言います。特に、修業で渡った1970年代のパリとそこで出会った先輩に魅力を教えられたコンフィズリーへの思いは強く、「まだまだ作り足りない!」と笑顔で話します。この道50年の巨匠のフランス菓子職人人生はまだまだ続くようです。

 


■パティシエの道を選んだきっかけと当時の日本のお菓子

実家は御徒町のパン屋で、中学生の頃から、父と叔父の下で手伝いをしていました。店にはパンだけでなく、ケーキもありました。当時のことですから、バタークリームのケーキです。デコレーションと言えば、バラの形に絞ったバタークリーム。これを絞るのが面白くて、このときは味より技術に興味を持ちました。ある時、自由が丘に遊びに行き、今では老舗の「モンブラン」で初めて生クリームのショートケーキを食べました。とにかく感激しましたね。ケーキ作りにますます関心を寄せるにようになったきっかけでした。
高校生になると、帰宅後、私服に着替えて銀座で映画を観たり、みゆき通りを歩いたりするのが楽しみでした。ときどき帝国ホテルやホテルオークラに寄ったりすると、それまで見たこともなかったタルトなどがありました。聞けば「フランス人のシェフが作っている」と言うのです。街場では本物のリキュールなど使えない時代です。日本のケーキとは風味、香りが違うと思いましたが、それが何なのかは、当時まだわかりませんでした。でも、漠然と「自分も行ってみたいな」とフランスへの憧れが芽生えました。
専門学校(東京製菓学校)を卒業すると、池袋の洋菓子店に住み込みで働きました。職人が10人くらいいて、朝から晩まで働き、閉店間際の銭湯に飛び込み、湯船につかるのがなによりの楽しみでしたね。

 


■「あの時のあの味」の謎が解けたパリ修業

ホテルでフランス人シェフのケーキを食べて以来、フランスに行きたいと思っていましたから、パティスリー会の山名先生のもとで製菓のためのフランス語を学びながら、機会をうかがっていました。一緒に勉強していた仲間が先生とともにひと足先に渡仏していたので、いてもたってもいられず、僕も仕事を辞め、出発しました。パリで合流した先生は、僕に「ジャン・ミエ」で仕事を見つけてくれました。キッチンにずらりと並ぶリキュールを見て、ようやく「あのときホテルで食べたあの味はこれだったんだ!」と気づきました。日本で使う材料とはなにもかもが違って、フレッシュバターやミルクチョコレートのおいしさに目を見張りました。

 


■都心でなくていい。お客様のためにも、自分やスタッフのためにも

高幡不動に自分の店を開いたのは、妻の実家もあり、正月やあじさい祭に毎年訪れていて、土地勘があったからです。帰国して勤めた「エミリー・フローゲ」が、支店の候補地にしていた土地でもありました。結局、支店の話は流れたのですが、駅前の物件があいたので、それを機に独立しました。25年前のことです。なぜ都心ではなかったのかというと、トレンドに左右されず、自分の作りたいものを作りたかったし、都心の店のように高い値段のお菓子ではなく、自分のために日常的に買って食べることのできるものにしたかったのです。
新作は季節や催事に合わせて考えることもあるし、気に入った素材が始点になることもあります。5年生のスタッフに提案させたり、教室向けに考えたレシピが商品化されることもあります。
うちのスタッフは5年生までと決めているんです。新卒で採用して、各ポジションをひとまわりし、次の修業先で困らないような段階になるまで5年勤務してもらい、卒業です。経験者の場合は3~4年で卒業です。

 


■「10年後も働いていたい」。シェフを突き動かすもの

好きでやっている仕事ですから、いつまでも続けていきたいし、若いスタッフたちの面倒を見て、引っ張っていく義務もあります。池袋の修業時代の先輩に、栃木の洋菓子店「ニューアンデルセン」の志村さんがいますが、彼を見ていると、「10年後も働いていたい!」と思います。それにまだまだコンフィズリーを作りたい。まだ作りたいものの半分くらいしかできていません。エンローバーを導入して、チョコレート菓子を増やすことも考えています。また、古典菓子もモダン化して、うちの店らしさを盛り込み、お客様に喜んでもらえるようなものも作っていきたいです。

 


■70歳。バイタリティに溢れている藤生シェフの秘訣とは?

フランスに行く前からファンの、あるジャズギタリストがいます。83歳の今も週に2~3回ライブを行っています。20年程前、ライブスポットで彼と話す機会があり、そのストイックな体調管理ぶりに感化されまして…それから週に2回のジム通いを欠かさないようにしています。筋トレもしますが、体と同時に脳を鍛えてくれるエアロビクスも続けています。食事の量も意識して、今でも体重は若い時と変わらないですよ。

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店舗情報

パティスリー・ドゥ・シェフ・フジウ

東京都日野市高幡17-8 

パティスリー・ドゥ・シェフ・フジウ