スペシャルストーリー

プロ意識を育てもらったフランス。そして生涯のヒーローとの出会い

「ジャン・ミエ」で仕事を見つけてもらったと言いましたが、つまり「研修」ではなかったのです。「仕事ができる」という前提で入りましたから、日本と勝手の違う厨房で戸惑っていると、パトロン(店主)から「できると思ったのに、できないじゃないか。もう来なくていい!」と叱られたものです。せっかく来た憧れのパリです。しがみつくしかありません。辛い時期でしたね。とにかく仕事を覚えようとがんばりました。当時のシェフがフェルナンド・アルマーニというスペイン人だったため、同じ外国人のよしみで熱心に指導してくれました。1年くらいかけて仕事を覚えると、パトロンの態度もすっかり好意的になりました。笑

その頃のパリ(1970年前後)は、街中、コンフィズリー専門店ばかりでした。コンフィズリーといえば、洒落た駄菓子のイメージで、日本でギモーブともてはやされるアレも、子供のお菓子なんです。僕がコンフィズリーを始めたのは20年程前なのですが、パリで見たものと河田さんの影響が大きかったと思います。オーボン・ヴュータンの河田勝彦さんとは、パリで働く日本人会のような集まりで初めて会い、本当によくお世話になりました。私生活でも、仕事でも河田さんはいつも目標。

ウィーンに行ったのも、河田さんが行かれたことで興味を持ったのです。ウィーン菓子の代表と言えば、ザッハトルテです。これを学びたいと思い、知人を頼り、パリ修業後はウィーンに向かいました。ホテル・ザッハやデメルなどの名店はありますが、僕はやはり修業店の「ハイナー」のものが一番です。生地とアンズジャムを層にするのは同じですが、「ハイナー」のザッハトルテは、砂糖と一緒に煮詰めたチョコレートをコーティングし、ジャリジャリとした食感を楽しませます。僕のチョコレート菓子の原点がこれです。