ケーキハウスマルフジ ー 越栄信英さん、純平さん、亮弥さん

ケーキハウスマルフジ (石川) 代表取締役 越栄信英さん、純平さん、亮弥さん

石川県小松で3代

素敵な笑顔と熱い思いを持つ素敵なヒーロー一家

 

北陸の空の玄関口、石川県小松市に「マルフジ」を知らない人はおそらくいないでしょう。水田を背景にそびえたつ欧風の建物は、さながら「お菓子の家」。店に一歩入れば、甘い香りと壁を埋め尽くすお菓子ですっかり幸せな気分になります。創業63年目の同店をひっぱるのが越栄信英さん。父親から店を引き継ぎ30余年。父親の背中を見て、パティシエを志した息子たちも来年には2人そろうと言います。洋菓子店では珍しい親子3代の「これまで」と「これから」を伺いました。

 

■両親が創業した店を地元の「顔」に。ケーキを囲むイベント提案で店を盛り上げてきた30年

 創業は1955年です。富山県高岡市のケーキ屋で働いていた父が、暖簾分けの形で小松に開いたのが、私たちの「マルフジ」です。父とは職場結婚だった母も、女だてらに車を運転し、ケーキを温泉地などに届けていました。当時はバタークリームのケーキやカップケーキが主流でしたが、店に来るお客さんが嬉しそうにしている姿を見ていて、高校生になる頃には「ケーキ屋になろう!」と決意しました。

 大阪などで修業をしていると、実家が経営危機に瀕していることがわかり、店の再建のために小松に戻ってきました。26歳でした。32歳くらいのとき、道路の拡張工事のため店をリニューアル。同じ年に5年に一度開催される、全国洋菓子技術コンテストで銀賞を受賞するなど、メディアにも取り上げられたことから、客足が増え、「同じものを作っているのに、なぜ?」と思うくらい売れるようになりました。それから今まで売上げが落ちたことはありません。振り返っても当たり前のことをずっと続けてきただけなんですがね。

ただ、イベントのときには家族でケーキを囲んで団らんをもっていただけるといいなと思い、毎月、必ずイベントケーキを出してきました。正月、成人式、ホワイトデー、母の日、子供の日、父の日…。七夕をうちでは20数年前から「ラブ・スターズデー」と称して、7月7日前後の3日間はメロンボールをペアで販売するのです。ハロウィーンのイベントを始めたのも20年前くらいからでした。仮装してきたお客様と店のスタッフが交流する日でもあり、たいへんな盛り上がりです。「クリスマスケーキ試食会」も恒例行事で、12種類のクリスマスケーキを試食してもらうのですが、途中、サンタが登場してプレゼントを配るアトラクション付き。口コミで評判が広がり、今年も予約開始から1時間もせずに262人の応募で、満席になってしまいました。「家族の中にお菓子がある生活」を送っていただくのが、お菓子の家・マルフジの使命だと思っています。ありがたいことに、その想いは地元のお客様に伝わっているように思います。

 

■独学で手探り。チョコレート技術を学ぶのに苦労した修業時代

(越栄さん)

 最初の修業先では社長がチョコレートを作っていたものの、教えてもらう機会はありませんでしたす。しかたなく、仕事が終わると本で覚えたテンパリングで、苦労してチョコレートを作っていました。なかなかうまくできなかったのを覚えています。あるとき休み明けに店に出ると、店にチョコレートがずらっと並んでいたんです。いとも簡単に1日で。そのときは「社長、どうしてやるところを見せてくれなかったんだ!」と悔しい思いをしました。その後、元ドンクにいらした方からチョコレートを教えてもらえることになり、チョコレートの型もたくさんいただいたことが、本格的にチョコレートづくりを始めたきっかけでしたね。

 

■祖父、父の背中を見て、同じ道を選んだ越栄家の長男、次男

(純平さん)

「継げ」とは一度も言われたことはなかったのですが、父が店で「店長!」と呼ばれているのがかっこいいと思っていて、いつか「世界一のパティシエになる」と高校でも、専門学校でも周りに言っていました。子供の頃は誰にでもできると思っていたのですが、現場に入ったら、そんな甘いことではもちろんなかったのですが。(笑) 高校を卒業して、東京の製菓学校に進み、あるときカスタードクリームを習ったのですが衝撃でした。父の作っているカスタードのほうが断然においしかったからです。父はすごいと思いました。実は母には「餅で育った」と言われるくらい、ケーキには見向きもしない子供だったのですが、この頃から父の作るケーキをよく食べるようになりました。

修業先では4年目になってようやくチョコレートを扱わせてもらえましたが、まだまだ思うようにいきません。チョコレートは基本をしっかり習得しないといけないので、日々の仕事だけでは足りませんから、講習会などで勉強しなければいけないと思っています。

 

(亮弥さん)

 自分は地に足がついているタイプで、高校時代は大学に進むのがいいのかなと思っていました。ですが、実際に進路を決めるときになって、親から「大学に行け」と言われると、反抗心から兄と同じ専門学校に行くと宣言していました。特になりたい職業もなかったし、小さい頃から兄と同じことをするのが好きだったこともありました。だから高校も、専門も一緒。ただ、両親が毎週月曜の休みの日、店のことでよくケンカをしていたんです。「そんなに真剣に店のことを考えているのか」と子供心に感心していましたから、いつかはこの店を一緒にやっていくのではないか、と思っていたのかもしれません。

 卒業後は何軒かで修業後、実家に戻りました。パティシエという仕事にあまりのめり込んでいなかったので、兄が帰ってくるまでのつなぎ…という思いでした。でも最近、仕事も楽しくなり、講習会などにいくうちに、自分の作りたいものが見えてきたんです!

チョコレートについては、修業先で1年目から触らせてもらえたのですが、今も勉強中。チョコレートは「理論」といつも思っています。

 

■お客様に喜ばれ、スタッフがイキイキと働く店作り、日本の製菓業界の未来を担う後進の育成にも尽力

 ヌーベル(ヌーベル・パティスリー・デュ・ジャポン:関西で活躍する菓子職人の技術向上や交流を目指す団体)は修業時代に創設され、北陸のヌーベルは立ち上がりのときから32年、所属して今は会長をやらせていただいています。全国のシェフと知り合いになれたのは、私の財産です。今の世代の子は野心に燃えるギラギラしたところがなく、この業界でも働き方が変わってきました。次世代の育成、技術の継承のためにも、いろいろなシェフの考え方が吸収できる場を設けるなど、人と人をつなげて業界全体を盛り上げ、レベルアップできるよう努めています。

 うちのスタッフについても、石川県内のコンテストではおかげさまで優勝することも多いです。スタッフは現在、20~27歳くらいが主力。8人が卒業して小松や周辺の地域で独立開業しています。ここで学んだことを生かし、地元のお客様を大切にする地域密着の店を作っていて、「私や妻のことを見ていてくれたんだな」と感慨深いです。

 2003年に店を現在の南欧風に移転したときに考えたのは、地域の皆さんに愛される店になることだけでなく、スタッフがイキイキと働けて、彼らのご両親にも喜んでもらえる人づくりでした。皆に喜んでもらうことが、私が仕事をする意味なのかもしれません。

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店舗情報

ケーキハウスマルフジ

石川県小松市沖町ナ30