コンクール優勝、夫婦で挑んだパリ修業。いつも熱い人情に助けられた

スペシャルストーリー

コンクール優勝、夫婦で挑んだパリ修業。いつも熱い人情に助けられた 

漫然と仕事をしているだけでは、頭ひとつリードできないと、1998年頃からコンテストで優勝することをひとつの目標にしました。仕事終わりに同僚がカラオケに行く姿を見送りながら、自分は練習をする孤独な日々。そんなとき、長嶋茂雄の「プロは孤独。孤独にならないと本物になれない」という言葉が励みになりました。

 ところが、睡眠1時間でがんばってもなかなか優勝どころか、入賞もできず、27、8歳の頃、思い切った行動にでました。アメ細工のバイブルとして、ボロボロになるまで読み込んだ本の著者、稲村省三さんのもとに「アメを教えほしい」と直談判に出かけたんです。稲村さんは面識もない自分をなぜか受け入れてくれて、毎週、バラの花のアメ細工を見てくれるようになりました。そのたびに厳しく評価され、心はボロボロ、がっかりする繰り返しでした。でもそうして鍛えられ、結果、アルパジョンで優勝できたときは、フランスからすぐに稲村さんに電話しました。稲村さん、電話口で大泣きしてくれて…本当に嬉しかったし、感謝しています。店で働いていたわけでもないのに面倒を見てくれて。根室に帰る直前、呼び出されて店に行くと、店のケーキを全部並べて、「お前の意見を聞きたい」と言ってくれたんです。認められたよう気がして嬉しかった。最後はまた2人で大泣きです。

 パリではビオベーカリーの「モワザン」で修業しました。クロワッサンなどのヴィエノワズリーを担当していたのですが、あるとき、7店舗ある1店舗をひとりで回さなければならないことになりました。1日1200個のクロワッサンが売れる店です。不安もありましたが、「やるしかない」と思いました。焼くことはできても、店のほうを見る暇がなく、何もしていなかった妻をこっそり店で手伝わせることにしました。ある日の早朝5時半、オーナーのミッシェル・モワザンさんがやってきました。「やべー!」と思いましたよ。(笑) どの店でもパンが同じ大きさにできているか、モワザンさんはときどき抜き打ちテストをしていたんです。クロワッサンをのせた秤が規定ピッタリの85gを指すと、「ビヤーン(よし)!」と褒めてくれました。そして、妻がいることに気づき、働き口がない事情を知ると、「うちで働けばいい」と言ってくれました。修業が終わるときには、日本までの航空券2人分と、銅製の道具や本が詰まった120㎏の荷物を持ち帰れる分だけの退職金もくれました。モワザンさんといい、稲村さんといい、本当に自分は人に恵まれていると思います。